子育て主婦のやり直し英語生活&幼稚園ママ達とのおつきあい、こども達との毎日を書いていきたいと思います。「目指せ!こども英語先生への道」開業目指しての奮闘記も?!

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およそ4ヶ月半ぶりの書き込みです。ようやくここまで復活して来ました。まだなかなかPCをひらく気力はないのですが、ずっと気にはなっていて、ようやく書き込みすることがかないました。


  お留守にしている間にはタイトル通りに色々なことがありました。書き込みをしてくださっていた方もおられましたのに、お返事を差し上げることもできないまま、今日まで来てしまいました。本当にごめんなさい466


  ことの始まりは、春休みに入った直後にさかのぼります。急に旦那が「家族旅行に行くぞ」と言い出して、準備にてんてこ舞いしていました。その一週間前、それまで通りに婦人科へ三人目ゲットのための卵胞チェックに行き、通院のストレスからか卵の成長が悪くなっていること、注射で今回は卵の成長を促してみること、年齢からか卵巣機能不全になっていること、そろそろ一年が経過するので、今回がまたダメなら「タイミング療法」から積極的な「注射などの治療」にきりかえましょうか?との話があったことなどが頭の中でぐるぐるしている中での旅行準備。あまり楽しいとは正直言えませんでしたが、春休みの真ん中からまた主人の長期出張生活が確定していたので、子供たちのためになにか楽しみをと主人が言い出したことでした。


  そんなこんなで2泊3日の旅行がおわり、帰宅した夜。「そろそろ妊娠していたら反応が出るころだな〜」と、判定薬を使ったところ、「陽性」反応。すぐにでも病院へ行きたかったけれど、せめて6週くらいにならないと何度も病院にいくことになるからと我慢しました。そして、まちにまった2週間後。


  妊娠確定診断は頂いた物の、先生は「卵がね〜ちいさいね。排卵の時期からだと6週に入ってるけど、卵は4週目くらい。ちゃんとそだつか、このまま消えてしまうか・・・様子見ないとだから、来週もきて。」「って、先生。もし卵が大きくなってなかったら、どうなるんですか?」と聞く私に「・・・そのときはまた検査ですね」と先生。どんよりした気持ちで帰宅。こどもたちの世話をしながら主人のかえりを待ちました。


  帰宅した旦那に夕食の用意をしながら一部始終をはなすと


「え〜、そんなややこしいたまごやったら、今回は流してもらえば〜?障害児とかになったらいややん」


「!!!」 情けないような、悔しいような、腹立たしいようななんともいえない気持ちになりました。「そんな気持ちで三人目欲しいとか言うてたん?あたしがこの長い間どんな気持ちで病院にかよってたとおもうんよ?待合でこどもら長いこと我慢させてまたせて、何回も何回も内診受けて。薬飲んで、ストレスで耳鳴りにもなって、耳鳴りの薬を我慢して絶ってまでまた婦人科通いを始めたんは、私だけの勝手なん?そんな簡単に流せてよういえるな!!」いいながら泣けて仕方ありませんでした。


「・・・」黙り込む旦那。暖めなおそうと調理台にだした夕飯はそのままに、冷蔵庫の前でしゃがみこんで泣くわたしをみて上の子がだまっていすを引きずってきてレンジに夕飯を入れだしました。いれおわるとティッシュの箱をわたしのあしもとに置き「かあちゃん、ねよ」


泣きながら、上の子に手を引かれて寝室まで行きました。布団の中でしくしく泣いていると、上の子も一緒にしくしく泣いていました。


翌日。出血が始まりました。病院にいくと「自宅安静」そのまま寝たきりの生活が始まりました。トイレ以外は寝たきりです。ウチには姑など女手がないので、こどもたちの通園はおじいちゃんに任せ、ゴハンなどは3駅ほど離れた実家から母に通ってもらいました。旦那は週末しか帰宅しない出張生活に突入です。


ねたきりで1週間。出血は止まりません。病院にいっても、近頃この辺りの総合病院が産婦人科医不足のため診療中止になったことを受け、わたしのかかっている病院はパンク状態。入院したくてもベットが無いのです。いったん帰宅した物の、出血はひどくなり、結局なんとか退院する人が出るのを陣痛室やLDRのベットで待ちながら入院することができました。そして、2週間。止血剤の点滴でなんとか出血が収まり、退院しましたが、まだ1週間は自宅安静が続きました。


出血がとまって、ほっとしたのもつかの間。つわりが始まりました。わたしは上の子2人ともつわりがひどく、動けなくなってしまうのですが、今回はこどもたちの幼稚園がありますから、実家に帰るわけにもいきません。おじいちゃんに送り迎えを分担してもらいながら、なんとかやりすごしていましたが、園の行事などもあって、また出血してしまいました。こんどは3日間の入院。このとき「辺縁前置胎盤」と診断されました。出血は流産につながります。うまく改善されたら普通分娩できますが、このままなおらなかったら帝王切開です。退院しても横になってばかりいる生活が始まりました。


園ママたちはつわりのころ、よくゴハンのおかずを持たせてくれました。舅と同居しているためにゴハンを作らないわけには行かないことを思いやってくれてのことです。それまで、距離感を感じていただけにとても驚き、感激し、心から感謝しました。みんな、「わたしもつわりがしんどかったから、気持ちがわかるわ」といってくれました。女同士しかわからない共感がわたしにはとてもありがたかった。それでも、安静生活が長くなると、どんどん疎遠になっていくのはいなめないことでした。寂しい気持ちにもなりましたが、致し方ないことです。子供の命を守るためには無理はできません。


夏休みに入って、園ママつきあいもお休み。気持ちも休まり、体調もすこしずつ楽になり、いままでがまんさせてばかりいた子供たちに時間をさいて付き合ってやれるようになりました。


上の子はわたしが退院してからは、ほぼまいにち一緒に晩御飯をつくってくれます。下のこのトイレトレーニングから、寝かしつけまで。まだ5歳なのに、できる限りのことを精一杯やってくれようとする姿にいとおしさを感じています。下の子はわがまま放題ですが、「あかちゃん、ねんねしてはるの?」といってはおなかをなでてくれています。ちかごろはおなかで動く様子がさわってわかるようになりました。やっと妊娠6ヵ月半。あと半分予定日までの道のりが残っていますが、みんなでがんばって乗りりれると思っています。